会津五薬師南方の寺
磐屋山薬王寺
福島県会津若松市大戸町下雨屋75
●沿革
『耶麻郡誌』によれば、会津五薬師のうち南方は、火玉が廃寺になった際に雨屋に移されたと記されています。そのような経緯で、南方薬師と称しています。一般には野寺を南方薬師としますが、このように諸説があります。
もともとは、大戸町下雨屋の集落の中に薬王寺(本尊は聖観音さま)があり、集落北側の山上に薬師堂(本尊は薬師如来さま)がありました。平成16年(2004)、山上の薬師堂が老朽化したので、この地の檀信徒、地域の人たちと相談して、移転新築を決意しました。集落の中の薬王寺と統合するかたちで、現在地に新しい薬王寺が落慶したのは平成18年(2006)です。
以降、長く途絶えていた「四つ児参り」を10年余り復活させました。現在は諸事情で祭礼を行なってはいませんが、個別の祈願には対応しています。ご希望があれば随時ご祈願いたしますので、お気軽にお電話下さい。
そもそも、お薬師さまへの信仰は衆病悉除、身心安楽を旨としますが、特に子供の安全な成長、なかんずく、蒲生秀行公ゆかりの北山漆薬師の二つ児詣りと、雨屋薬師の四つ児御礼詣りは欠かすべからざることとして人口に膾炙され、伝えられてきました。この、二つ、四つというのは、いわゆる数え年で、出生の翌年の9月7日から9日の三日間が北山薬師への二つ児参り、二つ児参りの翌々年が雨屋へのお礼参りということになります。乳児期の無事の成長祈願と、幼児期に入ってすこし安定したことへの感謝のお参りなので、南北双方とも欠かすことなくお参りすべきものとされています。御祈願についてはこちらのリンクもご覧ください。 境内東側の斜面には、季節の花がとても綺麗に咲きます。国道からチラっと見えますので、その節はぜひお立ち寄りください。
●『新編会津風土記』(文化6年編)に掲載されている薬師堂・薬王寺の紹介文
「下雨屋村 薬師堂
薬師堂(境内四間四方。年貢地)村の戊亥の方二町にあり。三間四面。丑寅に向ふ。縁起を按するに何人の草創にか詳ならす(寛文中撰へる風土記には空海建とあり)。もと今の所より下なる岩窟の中に堂を搆て安置せり。寛永中何者か此像を盗取り伊予国まて逃去しに、祟ありけれは同九年是を還せり。因て民の渇仰もまた深し。享保十四年今の地に遷す。堂後の巨巌に洞あり。空海霽を祈て此に護摩を修せしと云。此地は鶴沼川の流に臨て高く峙ち、松樹其上に蟠屈し、西は岩崎(大沼郡橋爪組本郷村)の巉巌に対し西北に平野開け、長流練を曵き白沙清潔にして勝景の地なり。
目洗水 堂後に僅の巌穴ありて水たまれり。常に増減なし。目を洗へは明ならしむと云。是も空海が穿ちし所なりとそ。 別当薬王寺(境内東西十四間、南北十間。年貢地)村中にあり。真言宗磐屋山と号す。開基を詳にせす。天正己丑の兵燹に罹り寺門悉焼亡せり。後何の頃にか宥存と云僧再興して、府下大和町金剛寺に隷す。本尊観音客殿に安す。」
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