教えと仏事Q&A

ここでは、まず金剛寺本末檀信徒が実践すべき真言宗の教えを示します。次に、金剛寺檀信徒の仏事の疑問について、Q&A形式で回答します。まずは檀信徒が実践すべき生活の規範について、簡略に示したいと思います(随時更新予定)。

●おしえ

①三宝を敬い、十善戒を意識するべし
 真言宗の教えについて、詳細は少しずつ書き足していきます。まず、金剛寺本末の檀信徒として、どのような心構えで生活すべきなのかについて、述べたいと思います。

 トップページにも書いた通り、まずは「三宝(さんぼう)を敬う」ことが何より大切です。これは仏教徒にとって必須の信条で、すなわち、お釈迦さまをはじめとする仏菩薩(仏宝)を敬うこと、仏菩薩の教え(法宝)を敬うこと、教えを伝える僧侶がた(僧宝)を敬うこと、です。これら三つの宝を大切にすることは、自身の今生と後生をより良くし、家庭の安寧につながります。難しいことはありません。「よくわからないけど、何やらありがたいかもしれない」というくらいの気持ちでけっこうです。

 次に、三宝を敬いながら、どのように日々暮らすか、についてです。真言宗では、誰しも心の中に、仏さまのタネが平等に宿っていると考えます。タネは水や肥料を与えなければ、タネのまま芽が出ません。タネを開花させる、つまり自分の中の仏さまを発見し、育てていくことが大切です。そのための水や肥料は、善い行いや善い考え方です。善い行いや善い考え方をもって、日々の仕事や生活に勤しむことで、自分の心の中の仏さまを育てるのです。

 では何が善い行い・善い考え方なのか。これは十善戒というきまりを心がけるといいでしょう。「戒」と聞くといかにも厳しそうですが、十善戒はあくまで「10種類の善き心がまえ」ですので、罰則などは無いものです。具体的には以下の10種類です。

1、不殺生(ふせっしょう)

 みだりに生き物を傷つけたり殺したりせず、大切にしよう

2、不偸盗(ふちゅうとう)

 ひとのものやアイディアを盗まず、他人を尊重しよう

3、不邪淫(ふじゃいん)

 不倫などせず、配偶者も他人も尊重しよう

4、不妄語(ふもうご)

 ウソを言わず、正直に話そう

5、不綺語(ふきご)

 無意味なきれいごとばかり言わず、よく考えて話そう

6、不悪口(ふあっく)

 人の悪口は言わず、優しい言葉で話そう

7、不両舌(ふりょうぜつ)

 二枚舌は使わず、誠実に話そう

8、不慳貪(ふけんどん)

 「自分はむさぼり人にはケチ」ではなく、施そう

9、不瞋恚

 キレずに、ひと呼吸おいて、相手の立場になってみよう

10、不邪見

 極端で間違った判断をせず、正しく穏当な判断をしよう

 いかがでしょう。一見簡単そうでも、全てを完璧に守るのはなかなか難しいのではないでしょうか。ただこれらは、全てを完璧に守ることが目的ではなく、「なるべくこのように生きよう」という指標です。まずは部分的にでもいいので、少しずつ気にかけていきましょう。このような心がけを実践することで、自心の仏さまのタネに水と肥料を与えることになり、やがて仏さまのような人間になるでしょう。つまり日々の生活そのものが、仏さまに近づくための修行、と言ってもいいかもしれません。
 自心の仏さまのタネを育てる善い行いは、ほかにもいろいろあります。ビジネスマンの間で流行しているマインドフルネス(座禅から仏教の宗教色を抜いた瞑想法)やヨガなども、善い考え方につながるのでおすすめです。

 なお金剛寺本末が所属する真言宗豊山派では、おしえを檀信徒向けにまとめた冊子『真言宗豊山派 檀信徒宝典』を発行しています。このHPよりもいろいろ詳しく書いてありますので、ご希望の方は一報くださいませ。無料で差し上げます。

●仏事Q&A 金剛寺檀信徒の仏事の疑問に答える

Q…お墓に古いお塔婆がたまってきました(80歳・男)

A…文字の判読が難しくなってきた塔婆については、塔婆の意義が無くなっていますので、ご自分でおたきあげして構いません。塔婆を塔婆たらしめているのは、その形状と、墨で書かれた文字(特に梵字)ですので、文字が不明確になった場合、それはすでに正確な意味での塔婆ではなくなっているのです。昔は墓地の周囲で、おのおの燃やしていました。現在でも禁止されていない場合は、ある程度たまった時点で燃やしてもらって構いません。また公共の墓地ですと、片づけてもらえる場合もあります。もし燃やすのも無理で、片づけもされない場合は、金剛寺にお持ちください。お預かりして、適時にまとめてお焚き上げします。
 ただし、金剛寺から授与した塔婆に限ります。他寺の塔婆は持ち込まないで下さい。


Q…市内の檀家です。年末のお札配りの時に留守で、お布施をお渡しできなかったのですが、どうしたらいいですか?またその際の「のし袋」の色は黒でしょうか(49歳・女)

A…こちらこそ「◯日の◯時ころうかがいます」と言えるといいのですが、何せ葬儀が入ると全て予定がずれますので、結局、いつ行くとは言えずにいます。かえってご心配かけてすみません。さてお留守の場合ですが、後日、何かのついでにご持参いただけると助かります。積雪の季節ですので、足元に不安がある場合は、春彼岸においで下さい。

 のし袋の色については、おおよそ「葬儀・法事・供養の場合は黒、祈願は赤」という原則があります。ですので、盆や彼岸は供養ですので黒、大般若や護摩は祈願ですので赤、となります。ではお札配りはどうかというと、良い歳をお迎えするための歳徳神さまや、一年の無事を願う不動明王の祈願札を配っていますので、どちらかというと祈願にあたります。よって赤となります。しかしこれは「どちらかといえば」です。実際には、お名前がわかるようにしておいてさえもらえば大丈夫なので、茶封筒でも構いません。

 なお、僧侶へ与えるものは、物でも食べ物でも金銭でも、全て「布施」と呼ばれます。「布施」は「施し」という意味です。ですので、白紙(半紙)に包んで「お布施」と書くと、供養でも祈願でも通じて万能です。


Q…金剛寺にお墓が欲しいのですが(68歳・男)

A…現在、金剛寺境内墓地にはいくつかの区画に空きがあります。面積に応じてその使用料が異なりますので、詳細は直接おたずね下さい。間口が210cmの区画と、180cmの区画があります。指定業者等は特にありませんので、ご縁の石屋さんを選んでいただいて結構です。

 なお金剛寺の境内に墓地をもとめる際には、「金剛寺の檀家となる」ことが求められます。何か機会を作って、ご家族で入壇式にのぞまれて下さい。入壇式において、住職から戒(生きる上での心がまえ)を授かることで、新たに檀家となります。記念に念珠とお袈裟(首からかける輪袈裟)をお授けします。


Q…金剛寺から受けた各種のお札(木札・紙札)は、仏壇の中におまつりすれば良いですか?(58歳・女)

A…意外に思われるかもしれませんが、お宅に神棚があれば神棚が良いでしょう。お社が三社造り(扉が三つ)の場合は、中央にご縁のある神様のお札(「天照皇大神宮」など)をおまつりし、空いている左右いずれかに金剛寺からのお札をおまつり下さい。これは神様のお力を仏さまがさらに支えることを意味します。神仏共におまつりするのは、明治時代以前の日本で当たり前だったうるわしい習慣です。神棚が無い場合は仏壇におまつり下さい。また、神棚も仏壇も無い場合は、家族が集まるリビング等の壁(天井に近いところ)に貼るのが良いでしょう。
 この話は、正月の紙札も、護摩祈願や大般若のお札も、全て共通です。


Q…身内に不幸があった場合、金剛寺から受けるお正月のお札はどうしたらいいですか?(61歳・女)

A…お正月を迎えるまでに、四十九日法要、あるいは納骨が終わって「忌明け」していれば、原則的には通年通りで構いません。土葬だった時代は百ヶ日を過ぎればよいとされましたが、現在は火葬なので、金剛寺ではそのようにお伝えしています。もし「忌明け」が元旦に間に合わない場合は、不動明王の紙札のみ配り、歳徳神(としとくじん)は配りません。そして「忌明け」したら、小正月(一月十五日)か旧正月などを元旦とみなし、旧年のお札(不動明王の紙札)を新年のものと交換すると良いでしょう。なおこの正月迎えに際する原則は、神社本庁の推奨する方法と共通です。


Q…のし袋のフチの色には、赤・黒・緑・黄とあります。お寺に持参する場合は何が正解ですか?(45歳・男)

A…昔は祝儀・不祝儀に共通して、無地(白)の奉書や半紙を多当折(たとうおり)にし、表に「御布施」と書くのみだったので、色の区別は無かったそうです。現在でも、相手がお寺であれば、これであらゆる仏事に通用します。ただ既成の市販品を用いる場合は、様々な色・さまざまな表書きのものがありますので、わかりにくいですよね。もし色つきの袋を使うのならば、金剛寺では、左のようにおすすめします。

・祝儀袋(赤のし)…護摩祈祷・大般若・不動講・ご挨拶・お札配りなど、この世の願いに関する事

・香典袋(黒や緑)…葬儀・通夜・法事・お盆・お彼岸・冬木沢詣りなど、あの世に関する事

 なお不祝儀に用いる黒や緑のお包みには、祝儀と違ってそもそも「のし」がついていませんので、単に「金封(きんぷう)」とか「香典袋(こうでんぶくろ)」と呼びます。また昨今、フチと水引が黄色のものも見かけますが、これは関西から入ってきた不祝儀袋で、主に神道葬やキリスト教の葬儀で用いられています。お寺では法事に限って用い、通夜葬儀では使わないのがマナーです。


Q…民放のテレビ番組で、お坊さんが「仏壇のお鈴は、読経しない場合は叩かない」とか「故人の写真は仏壇に入れてはいけない」などとお話していました。うちは昔からどちらもやっていますが、すぐにやめたほうがいいのでしょうか?不安です。(50歳・女)

A…そのままでけっこうです。実は、それらは浄土真宗の考え方であり、真言宗には全く該当しません。参考までに、なぜ浄土真宗では「仏壇のお鈴は、読経しない場合は叩かない」と指導されるのかについて述べます。浄土真宗では、お鈴は読経の始め・途中・最後の合図として鳴らすものであって、合図以上でも以下でもなく、お鈴の音で阿弥陀如来に何らかの働きがけをするものではないと考えます。ゆえに、黙って合掌して仏壇を拝む場合は、鳴らしてはならないということになります。お鈴の音で阿弥陀如来に何らかの働きがけをしてしまうと、他力本願という宗是に抵触してしまうのです。他力本願の観点では、門徒から阿弥陀如来に対して願うのではなく、すでに阿弥陀如来の方から慈悲をもって願われていると考え、門徒はその願いに気づき合掌するのです。ゆえに、おりんの音を鳴らすことで、本尊や先祖の注意をこちらに引く、という観念を厳しく批判しています。
 真言宗においては、お鈴を叩くことで、本尊さま(やご先祖さま)に注意をこちらに向けていただき、自らの襟もただす、という感覚で構いません。

 次になぜ「故人の写真は仏壇に入れてはいけない」という意見が出るのかを説明します。浄土真宗では、仏壇は寺院の本堂と同様、あくまでも阿弥陀如来への礼拝施設であって先祖を拝む壇ではありません。ですので、故人の写真を入れるべきではない、という結論に至ります。
 真言宗における仏壇は、本尊さまと、仏さまとなったご先祖さまを拝むところです。ですので、ご先祖さまをイメージしやすい写真を入れても、何ら問題はありません。

 テレビでは、意外かつ否定的な答えのほうがウケますので、お盆やお彼岸前になるとそのような番組が増えます。不安に思わず、何かありましたらわれわれに聞いてください。

 なお仏事のあとの食事の席で、「献杯(ケンパイ)」と言わず「いただきます」と言う運動を広げているのも浄土真宗です。真言宗ではどちらでも構いませんが、音頭をとる方が「献杯」と言っているのに「いただきます」と違う言葉で返すのは、マナー的に褒められたものではないと思います。音頭を無視するのは、施主が指名した人物の発声をわざわざくつがえしていることになり、施主にも音頭をとる方に対しても、不快感を与える可能性が大きいと思います。自身の価値観を一方的に「正しい」と押し付けることは、慎みましょう。


Q…代々金剛寺の檀家で、お墓も金剛寺にあります。ただ私たち子供は、早くから東京に出て生活しています。一昨年から、高齢の母親(90歳)を一人で会津においておけず、東京に呼び、一緒に生活していました。ところが最近、母親は体調を崩して入院、残念ながら長くなさそうです。ただ、東京で亡くなるとなると、葬儀の際、金剛寺さまに東京に来てもらうのは申し訳ないし、葬儀屋さんに東京のお坊さんを紹介してもらおうか、と悩みます。なお母親は、父の眠る金剛寺墓地への納骨を希望しています。どうすればいいでしょうか。(65歳・男)

A…現在、金剛寺の全檀家さんのうち、約一割が会津以外の在住です。それぞれの家庭の事情にもよりますが、原則、葬儀にかけつけるよう努力しています。距離の面でのご遠慮は無用です。ですので、安易に業者の紹介で僧侶を探すのはおすすめしません。そのような僧侶にお戒名をつけてもらい葬儀を済ますと、今度は金剛寺の墓地に納骨することができません。お母さまの遺志を尊重されるのであれば、まず菩提寺である金剛寺に相談することが大切です。またご事情を聞いた上で、火葬だけ東京で済まして四十九日に会津で葬儀兼納骨、あるいは金剛寺永代供養墓の使用など、さまざまな方法を選択することも可能です。ただし独断で火葬してしまってからの相談は、取り返しがつかず、選択肢が極端に減りますので、それだけは避けて、早めにご連絡ください。
 このようなお話は、いま増えています。その家庭ごとに正解が異なりますので、こうやってあらかじめご相談いただいたほうが、その時に(お互い)慌てなくてよいと思います。


Q…お盆とお彼岸の違いがよくわかりません。いずれにせよ、ご先祖さまは家に帰って来られるのでしょうか?(68歳・女)

A…まず、お盆はおっしゃる通り、ご先祖さまが仏さまの世界(密厳浄土)から家に帰って来られます。だからこそ皆さまは、盆前に冬木沢へご先祖さまを迎えに行き、盆中はお墓や家においてご先祖さまをもてなし、16日のお帰りの際にお見送りするわけです。

 しかし、春と秋のお彼岸では、ご先祖さまは帰って来られません。帰って来られるのは、お盆だけなのです。ではお彼岸とは何かというと、彼岸、あちら側の仏さまの世界におられるご先祖さまに、此岸、こちら側にいるわれわれから、良い報告を届けるための特別な一週間なのです。なぜその一週間だけが特別なのかというと、特にご先祖さまに想いが届きやすいからとされます。また、ご先祖さまに届けるべき報告は、お彼岸が年に二回であることから、半年分ということになります。半年に一度の特別な機会ですので、ご先祖さまが聞かれたら安心するような良い内容を、お寺で、墓前で、お焼香の香煙にのせて、それぞれ報告してください。


Q…代々のお墓が金剛寺にあります。数年前に妻を亡くして今は市内に一人暮らしですが、子どもたちは全員首都圏に暮らしています。いずれ私が死んで、妻と一緒のお墓に納骨できても、子どもたちが会津のお墓の面倒を見続けるのは難しいでしょう。ですので、私が動ける今のうちに「墓じまい」をして、ゆくゆくは金剛寺の永代供養墓か、もしくは子どもが面倒を見やすい場所にお墓を改葬できたらと思います。まず「墓じまい」はどうしたらできますか?(78歳・男)                   

A…このようなお悩みはいま増えています。大切なのは、ご自分一人で全て決めるのではなく、まず子どもたちとよく話し合うことです。お墓については、子どもも一方の当事者であることをお忘れなく。その上でお寺に相談ください。ご先祖代々のお骨は決して粗末にできません。お寺もさまざまな解決法を持っていますので、自分と後継者とお寺の三者でより良い方法を探しましょう。

 さて改葬の前提となる「墓じまい」とは、お墓からお骨を全て取り出し、墓石を撤去・処理して更地にすることです。「墓じまい」の経費は、法律により墓地管理の代表者、すなわちあなたがもつことになっています。石材店により多少異なりますが、金剛寺墓地の平均的面積だと30万円前後かかります。そのあとかかる改葬の経費と合わせても、気軽な金額ではありません。繰り返しになりますが、一人で結論を出さず、三者でより良い方法を考えましょう。


Q…定年となり、朝の時間も余裕ができたので、仏壇で何か唱えてみようと思います。何をどのように唱えたら良いですか?(66歳・男)

A…それは良いことです。金剛寺には、真言宗豊山派公認のおつとめ用の経本を常時いくつか用意しています。ご希望があれば、無料で差し上げますし、唱え方も伝授します。気軽にお問合せ下さい。また、金剛寺本末が所属する真言宗豊山派では、おしえを檀信徒向けにまとめた冊子『真言宗豊山派 檀信徒宝典』を発行しています。となえるのに少し慣れてきたら、せっかくですから意味も知りたいところ。詳しく書いてありますので、ご希望の方は一報くださいませ。無料で差し上げます。


Q…家族が亡くなった場合、神棚を白紙でさえぎり、仏壇も忌明けまで扉を閉めると聞きました。なぜですか?

A…まず神棚に関しては、神様は人間の死を「忌むべきケガレ」として避けるという特性があります。ですので神棚の正面を白紙でさえぎるというのも、ゆえあることだと思います。仏壇については、閉める閉めないの両説があります。金剛寺としては「閉める理屈は無いが、気になるのだと閉めても構わない」という回答になります。
 さて閉める理由としては、大きく二つの理由が挙げられます。まず一つ。新しく家族が亡くなると、多くの場合、49日の忌明けまで、自宅に新しい故人のご遺骨を安置する壇が置かれます。その壇へのお供えの上げ下げが大変なので、ほかのご先祖さまには申し訳ないけれども、忌明けまでは新しい故人の供養に専念するため仏壇の扉を閉める、という説です。もう一つは、忌明け前の故人は、中陰という期間に当たっていて、日本の習俗だといまだ荒魂(あらたま。まだ落ち着かない霊魂)だからというもの。忌明けして、和魂(にぎたま。慈愛にあふれた霊魂)になるまでは、仏壇中の仏さまやほかのご先祖さまに迷惑がかかるため、扉を閉めておくもの、という説です。どちらも仏教というよりは習俗であり、さしたる根拠がある話ではありません。
 逆に開けたままにしておくべき、という考え方もあります。これは、仏さまは死をケガレとして嫌わないので閉める理由も無い、とする合理的な考え方です。特に浄土系の宗派では、阿弥陀さまは極楽浄土へお迎えくださる仏さまなので、むしろ忌中に閉めるのはとんでもない、という考え方です。
 真言宗では「こうでなければいけない」というルールはありません。しっくりくる考え方を選択してみてはいかがでしょう。そのほうが、新しい故人への供養に落ち着いてのぞめますし、それが一番大切です。